邂逅
「わたしは、この方がいいです、ははうえ」
ためらいも無くその小さな指が向けられた先に座していたのは、賽貴だった。
その『結果』に周囲も、そして指名を受けた本人である賽貴も、目を丸くしている。
「おなまえをうかがっても、よろしいですか?」
「……、……」
目の前の、純真な瞳そのものの、小さな浅葱の姿。
たどたどしくはあるが礼儀が叩き込まれたその言葉に、賽貴は素直に応えることが出来なかった。
「……賽貴さん、ほら。答えてあげなくちゃ」
明らかに動揺している彼に対して、隣に座していた朔羅がそう言う。
久しくこの姿を取っていなかった賽貴にしてみれば、奇跡のような時間だった。
桜姫に『お前を遣うつもりは今後もありません』と一番最初に言われて、もう何年過ぎ去ったのか。符に戻り、いつもその小さな場から、『主』の無事を願ってきた。例え好かれていなくても、それでも無事を願わずにはいられなかった。
「――賽貴、何をしているのです」
「!」
凛とした声に、肩が震えた。
数十年ぶりに自分に向けられた声だった。それでも、自分の視線をそこへと移すことは禁じられている為に、賽貴は目の前の浅葱を見やったまま、ゆっくりと目を伏せる。
そして彼は、黙したままで膝の前に両手を沿え、頭を垂れた。
「賽貴と申します。此度のご指名に、深く感謝いたします。浅葱さま」
「さいき様とおっしゃるんですね。これから、よろしくおねがいいたします」
自分に降り注ぐその声音が、とても温かかった。
賽貴は身を伏せたままで、その声をかみ締める。その瞬間、目頭が熱くなった。だがそれを、小さな主に悟られるわけにはいかない。
隣に座したままの朔羅には、その光景が目に入ってしまい、密かに笑みを浮かべていた。
浅葱が五歳になったこの日。
母、桜姫の判断で、浅葱に側近を付けることが決められた。
彼女が持ち合わせる主な式神五体を浅葱の目の前に並ばせ、彼の素直な直感で選ばせると言う形を取ったが、それは思いにもよらない結果となった。
否、あるいは、それは運命だったのかもしれない。
「己の天命尽きるまで、精一杯お仕えさせて頂きます」
相変わらず頭を下げたまま、賽貴はハッキリとした口調で浅葱にそう告げた。
すると浅葱は一瞬だけ呆けた表情になり、母を見やる。
桜姫は何も返さず、厳しい目で浅葱を見やるのみだ。自立心を育てる為なのだろう。
「……かおをあげてください。さいき様。それではお姿をはいけんできません」
「は……」
浅葱の言葉を受けてようやく、賽貴はゆっくりと体を起こした。そして再び、小さな存在へと視線をやる。
大人や異形のものたちに囲まれ、本当は怖いだろうに。
いくら母と共に毎夜妖と対峙するとはいえ、彼はまだまだ幼い。
だからこそ桜姫は、自分たちの中から側近を選ばせると決めたのだろう。
「ずっと、おそばにいてくださいね」
「……貴方の、望まれるままに」
賽貴を僅かに見上げる形で、小さな浅葱はにこりと笑ってそう言った。曇りの無い、綺麗な笑顔だった。
胸が、締め付けられる。
賽貴は一瞬だけ下瞼を揺らしながらも、それを笑顔に変えて言葉を返した。
守りたい。自分の一生をかけて。
今度は祈るだけではなく、この手で仕えきろう、と賽貴は決意を新たにするのだった。
-了-
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