心の声音


 鏡台を前に、浅葱は小さくため息をついた。世の『姫君』と飛ばれる存在は、みなそれぞれに美しい。自分と近い年齢の娘であっても、くちびるには紅をひいて、髪を長く伸ばし椿油を浸み込ませた櫛で綺麗に整えてもらう。それに比べて、自分はこんなにも貧相だ。
 並々でしかない顔立ち、背中までしかない髪。月のない夜こそ金糸に髪の色は変わるが、それは周囲からは恐れの対象、『鬼の子』の証だと言われるのみで『美しい』との言葉すらない。父を恨んだことなど一度も無いが、自分の中に在る『女』の心が、今の心情を激しく揺らすのかもしれない。
「……浅葱様」
 ゆらり、と燈台の上の炎が揺れたかと思えば、その直後に背後から声がかかった。賽貴のものだった。浅葱は慌てて、自分の曇り顔を明るいものへと変化させる。だがそれは、賽貴の行動によりあっさりと崩されてしまった。
「あなたのそんな愁い顔も、私は嫌いじゃないですよ」
 頬に手を滑り込ませながら言葉を繋ぐ彼に、浅葱は益々、表情を崩す。あからさまに眉根を寄せつつ、僅かに頬を膨らませた。
「賽貴は、狡い……」
「そうですね、その自覚はあります。……ですが」
 賽貴の胸に顔を埋めながら浅葱がそう言えば、彼は僅かに苦笑しつつまた言葉を紡ぐ。
「私を求めれば、気鬱も晴れます。だから私をもっと、知りなさい」
 深い意味を含むそんな響きに、浅葱は一瞬首をかしげるが、言葉の真意を悟った後に一気に頬を染めた。
「……そんな、こと」
「出来ないわけでもない。知らないわけでもないでしょう」
「そ、そうだけど……でも、私は……」
「都人らしからぬお心ですね、浅葱様。……あなたとて私とさえ出会わなければ、今頃は北の方を迎える準備、もしくは殿方を通わせる準備をしていたでしょうに」
 前者は浅葱を『男』として。そして後者は浅葱を『女』として。
 両方の見方を合わせつつの賽貴の言葉は、浅葱には少しだけ寂しい響きとなった。
 だが確かに、浅葱の年の頃であれば、どちらの立場においても縁談が舞い込んでくるであろう『現実』でもあった。
 『若君』でも『姫君』でもない、『陰陽師』としての立ち位置を定められていた浅葱には、どちらの選択肢も無かったのだが。
「……私は今のままで、良かったよ。若君……姫として育ちたかったっていう気持ちも確かにあるけど、賽貴と出会えたことのほうが、大切だもの」
「それは嬉しいお言葉ですね。……あなたがそんな風に私を喜ばせる事を簡単に言うから、私はついつい調子に乗ってしまう」
「さ、賽貴……」
 ふわり、と微笑を見せる賽貴。その笑顔は、普段からはあまり見られるものではない。
 頬に在るままだった賽貴の右手は、するり、と浅葱の顎先に滑り落ちた。そして簡単に顔を上に向かせて、その距離を近づける。
「……嫌なら、嫌、と」
 わざとらしく、そう繋げる言葉。
 浅葱がそう言う筈も無いと確信しているのに、彼はこうやってたまに意地悪もするのだ。
「私が言えないの、知ってるくせに……」
「だから敢えて、聴きたいのかもしれません。あなたの心の声音を」
 浅葱が眉根を寄せつつそう応えると、賽貴はやはり小さく笑いながらの返事をした。
 そして彼は、腕の中の小さな主に唇を寄せる。
 こうなってしまえば、浅葱には抵抗の術が全くなくなってしまうので、彼は賽貴に従うしかないのだ。
 素直な浅葱の姿を間近で見た賽貴は、ひっそりと自分の目を細めて、室内を静かに照らしていた燈台の上の炎を消した。

 浅葱には、浅葱だけが持ち合わせるものがある。
 それを誰よりも知っているのは賽貴だけであり、彼は自分だけの特権であってほしいと思っている。
 貪欲で狡猾だと自覚もするが、改める気も無いようだ。

 浅葱を映していた鏡は、今は静かに暗闇を反映するだけのものになっていた。

    -了-