錦の海。


「錦の海、ですね」
「……あ、うん。綺麗だね」
 ぽつり、と呟いた琳に対して、その向かいに座していた浅葱が顔を上げた。
 琳は庭に目をやり、緩やかに目を細めていた。
 季節ごとに色を変える庭が、彼は密かに気に入っているらしい。現在の庭は秋の色で、紅葉が美しくその紅を差し始めている。
「聞いても、いい?」
「どうぞ」
 浅葱がそう問いかけても、彼は視線を庭に向けたままだった。
「……賽貴に仕えていた頃は、庭はこんなふうじゃなかったの?」
「そもそも、世界の構築自体が人間界(こちら)とは違いましたからね。……ですが、そうですね……似たような誂えでは、あったように思います」
「庭師さんとか、いるの?」
「ええ。賽貴さまのお屋敷には、庭造りに命をかけている八握脛(やつかはぎ)がいましたしね」
「……八握脛が?」
 琳の言う八握脛とは、土蜘蛛のことであった。
 彼らが住まう地は『魔界』。当然といえば当然のことなのだが、浅葱にとっては十分に驚くことだった。
「頭も良く、器用な者でしたよ。『人間界で見かけた』と言って、枯山水なども自分の足で表現してました」
「へぇ……」
 感嘆の声を漏らしたあと、浅葱はその姿を想像して、小さく微笑む。
 その声に、琳がようやく視線を元に戻した。
「怖がらないんですね」
「うん、平気だよ」
「……それが、陰陽師というものなのですか」
「私は、変わり者だからね」
 半分、妖の血が流れているためなのか、浅葱は妖を怖がることは殆どない。
 八握脛などは、その姿形から、浅葱が一番嫌いそうな存在であるのに、と琳は心の中で思う。
 自分を『変わり者』と言いながら浅葱は、小さく笑みを作った。それはわずかに、自嘲の色であった。
「…………」
 琳はそんな浅葱を、黙って見やる。現在は姿が猫であるので、その表情は表現し難い。
 ちりん、と首元の鈴が鳴った。
「琳?」
「……あなたが『そう』だから、僕は傍にいたいと思ったんですよ」
 
 ――時折、さみしそうに笑う、君。
 それを黙って見過ごすほど、僕は大人じゃないから。

 とん、と琳の前足が浅葱の膝の上に乗る。
 そして主の手を頭でぐいぐい、と、押しのけ、彼は膝の上に悠々と乗り上げた。
「……冬はね、椿が咲くよ」
「それは楽しみですね」
 浅葱はそんな琳の仕草にやんわり、と笑って、彼の頭を撫でつつそう言った。
 琳は彼の膝の上で普通の猫同様に丸くなり、ゆったりと目を閉じる。

 さわ、と室内に入り込んでくる風は、微かに冷たい。
 それを頬に受け止めながら、浅葱はゆっくりと顔を上げて、琳の言う『錦の海』を改めて見やるのだった。

    -了-