Tempo solitario.

 永い、ながい時を独りきりで過ごしてきた。
 幾度も繰り返される魂の流転。逃れられない境界。痛みの引かない背中。
「縛り続けているのは、私の思いなのか、それとも――」
 己の体は朽ちることがない。その代わりに、待ち続けている存在を縛り続けている。
「リリー……。君は今、何処にいる?」
 小さく零れ落ちるつぶやき。
 薄暗い部屋の中、彼女は今日も途方もない時間を過ごす。そんな彼女の足首には、鈍い紫色を放つオーラを纏った鎖が何重にも巻きつけられていた。

 事の起こりは、遠い過去。
 いくつかの歴史を遡らなくては、語ることが出来ない。
 『剣』と『魔法』という言葉が、当たり前に使われていた時代。
 それらを受け入れなくては、生き抜いてはこられなかった。
 国の繁栄、名誉と誇り――。
 栄華を極めるものは新芽を潰し、やがては心を闇へと落としてしまう。
 そこから生まれるものは、戦争だった。
 国と国とが、潰しあいを繰り返す時世に、物語の『二人』は存在した。
 ひとりは一国の姫君であり、そしてもうひとりはその姫君を守る女騎士。
 見るもの全てを酔わせる美麗な二人は、深く愛し合っていた。
 例えそれが禁忌であろうとも、認められなくとも。
 二人は永久に愛を貫き通す事を、誓い合った仲だった。
 穏やかでささやかな幸せさえあれば、二人には何もいらなかった。
 そんな最中に起こった戦争に、二人は巻き込まれる。
 城は滅び、一族は皆殺しにされる姫君の国。戦火を潜り抜け二人だけは逃げ延びるも、後一歩と言うところで運命は無常にも二人を引き離す。
 騎士は呪いにより姿を消し、姫君は一人残され――そして、時は流れる。
 未来へと繋がる、約束を交わしながら。

「………………」
 空気に異質さを感じて、重い瞼をこじ開ける。
 眉根を寄せたままで視界をめぐらせると、一筋の道が彼女の目の前に作られていた。
「ああ、そうか……。時間が来たのだな……」
 体を預けていたのは、ガラスで出来た棺。
 その棺から離れ、彼女はゆらりと立ち上がった。
 彼女の言う『時間』は、通常のものとは少しだけ違う。待ち続けている存在の目覚めと成長、そして再会を知らせるためのものだ。
 もう幾度も、繰り返されてきた。
「終わりが、来るのだろうか……今度こそ」
 静かな呟きに続くにようにして、徐に右手を差し出せば、生まれ出でるのは一本のレイピア。
 見慣れたそのレイピアの柄を強く握り締め、彼女は自分の足首に撒きつけら
れている枷へとそれを振り落とす。
すると枷は簡単に砕け散り、地へと吸い込まれ姿を消した。
「……逃げるわけではない。リリーを導いてくるだけだ」
 静かに口を開くと、誰に向けているわけでもない言葉を、口早に告げる。
 右手に手にしたままのレイピアは、そこで床に突き刺す。直後、細い刀身は静かにその姿を消した。
 彼女が一歩、前へと進む。
 すると彼女の姿が少しずつ変容していく。一歩進むごとに、古びた騎士の姿から、現代の少女の姿へと。
 彼女がドアノブへと手をかける頃には、その姿は完全な変化を遂げていた。
 扉を開けばその先は、眩しいばかりの世界が広がる――。

 表の世界は、既に戦争とは無縁の時代だ。
 そこには王や城などと言うものも存在しない。存在するのは、女生徒ばかりを抱える一つの古い学園だけ。
「ルカ先輩、おはようございます」
「ああ、おはよう」
 廊下を吹き抜ける柔らかな風が、彼女――ルカ――の髪の毛を揺らす。
 『ルカ先輩』、『ルカさん』、『ルカお姉さま』等、この学園内での彼女の呼び方は様々だ。そのどれもが、彼女を敬愛し、そして淡い想いを込めてのものだった。
 ルカはとにかく、何処にいても何処を歩いても目立つ。中性的な整った美貌の為なのだが、本人はその事にはあまり関心がないようだ。
 むしろ当たり前すぎて、麻痺を起こしているのかもしれない。
「ルカさん、すこしお時間宜しいかしら」
「……どうぞ、サオリ姫」
 ルカを呼び止めるひとりの少女。制服の胸元のリボンを見る限り、上級生らしい。ルカとは違う色だ。
 ルカとは顔見知りの仲らしく、遠巻きに彼女を見ている少女たちとは、少しだけルカに接する態度も違って見えた。
「今日の午後、テラスで恒例のお茶会を開きますの。ルカさんも良かったらいらして」
「貴女のお誘いを断る理由など、どこにも見当たりませんね。……喜んで、参加させていただきますよ」
 サオリと呼ばれた少女は、ルカの返事に満足気に顔をほころばせる。
 亜麻色の長い髪がルカへと風で運ばれると、彼女は少し驚いたようにして軽く瞠目した。
 そしてルカは、サオリの髪の一房を、そのまま手に取る。
「――春の沈丁花、秋の金木犀。それに勝るとも劣らないのが夏に咲く梔子の花です。貴女はまさしく、その梔子のような人だ。濃厚な香りが、近づくものを惑わせる……」
 ルカの告げる言葉は、いつも甘い詩のようだ。
 サオリの髪を手にしたまま、ルカはその髪にそっと口付けをする。
 すると周囲からは、小さな悲鳴のような声が上がった。
 甘いささやきを捧げられた当の本人は、今まで保っていた平常心をいとも容易く崩され、顔を真っ赤に染め上げ半ば放心状態だ。
「さぁ、サオリ姫。そろそろ授業が始まります。この続きは、テラスで……ね?」
「……は、……あ、ああ、そうですわね。そ、それではルカさん、失礼、いたしますわ……」
 サオリはルカに背中を押されつつ、その場を離れていく。
 足取りを見れば多少危うい感があるが、大丈夫だろうか。
「可愛らしいね……」
 ふらふらと歩いていくサオリの後姿を見つめながら、ルカは至って普通に独り言を漏らす。
 これが彼女の、日常だった。
 少女たちの心を弄んでいるわけでもない。決して、軽い気持ちで言葉を紡いでいるわけではないのだ。ただ、目の前を過ぎていく一瞬一瞬がいとおしく、そして儚く見えるこの時を、何か形に残る行動で示しているだけ。それだけを、繰り返しているだけなのだ。
 待ち続けているひとを、探しながら、ずっと。
「リリー……」
 その声音はあまりに小さく、誰の耳にも届かない。
 今日も天気が良い。日差しが眩しいくらいだ。
 ルカが額に手をやりながらゆっくりと天を仰ぐのと、校内のチャイムが鳴り響くのはほぼ同時だった。

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