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01.バーサーカー

 その女の記憶は、酷く混乱する時があった。
 心の奥底に潜む恐れと弱い心を強制的に誤魔化す為に、躊躇いもなく飲み込む薬――それこそがきっかけであり全てである。
 手のひらに転がるのは、今では珍しいとさえ言われるハードカプセルだ。赤と青の色があり、一緒に飲まなくては効果が見られないらしい。
「……いつまで、こんな事を繰り返すんだか」
 小さくそう呟いて、彼女はそれを口に放り込んで、直後に唾液のみでごくりと喉を動かした。
 数秒後に訪れるのは、視界のブレと共に起こる大きな血の疼きだ。
「後は、頼んだよ」
 両脇にいる男二人にそう告げた後、女は意識を失った。
 左手にいた若い男が、傾いた彼女の体を軽く支え、右手の男に目配せをする。
「――よし、出るぞ」
 『合図』を受け取った右手の男が、その場から駆け出した。
 すると、意識を失ったはずの女がカッと目を見開き、ニタリと笑みを浮かべる。
「ヒルデ」
 左の男が名を呼んだ。それが彼女の名前らしい。
 ヒルデと呼ばれた女は、その響きに大した反応も返さずに、自力で身を起こし先に走った男を追い始めた。
「ヒヒ……ッ 祭りだぁ……ッ!!」
 物凄いスピードで男に追いついたヒルデは、半狂乱になりながら男の背後で地を蹴り上げ、彼の肩を掴みながら頭上で身を翻らせて前に出た。
「おい、ヒルデ……! 俺の武器だろ、それっ!」
「……借りるぜ?」
 男が呆れ顔でそう言うと、ヒルデはまたもや表情を歪めてそう返し、駆け出した。
 身を翻した時に、彼の言うとおりにライフル銃を奪い取り、数メートル進んだ先で一発を放つ。
 ろくに狙いすら定めてもいなかったが、それでも目標には命中し、遠方で一つの影が地に沈んだ。
「はぁ……。ザシャ、銃貸してくれ」
「了解」
 自分の武器を奪われた男は、その場でカクリと肩を落としつつ、もう一人の男に声をかけた。
 気配を消しつついつの間にか距離を詰めていた若い男は、その現状に表情一つ動かさずに自分のハンドガンを差し出す。その代わりにと彼が次に手にしたものは、スローイングナイフであった。
「――さて。気を取り直して、目標殲滅兼ヒルデの援護ってやつを、始めるかぁ」
「…………」
 男二人はそこで仕切り直しと言うように、改めての行動を開始する。
 遠くでは既に銃声が何発も鳴り響いている。全てヒルデが放つものであった。

 水の星、グローブ。
 かつては豊かな水を湛えていたこの世界は今や、完全なる終末期に入っていた。
 砂がすべてを覆う『砂漠化』という環境問題が拡大し、人類は少しずつ減り始めている。
 既に幾つかの都市や街などが砂漠化に遭い、その存在自体が地図から消えている状態だ。
 この砂漠化の調査と、現象ともに何処からともなく現れた人類にあだなす存在、ならず者という意味を持つ言葉を当てはめられた『ローグ』を排除するために、軍のチームが各所に点在しつつ日々奮闘していた。
 ヒルデと言う名の女はチームリーダーである。すでに数々のミッションをこなし功績を上げているのだが、大きな問題を抱えているために、隊員は常に限られた特殊チームとして活動していた。
 ――三人一組。まさに『少数精鋭』である。
 オレンジ色の髪を持つ女の正式な名前はヒルデガルト・エフラー。二十歳になったばかりの言わば『若造』だ。
 アップルグリーンの瞳は大きく、それが少しだけ幼さを残しているような印象を与える。肩くらいまでの無造作な髪を高い位置で常に括り、上半身は迷彩服である上着を脱ぎ捨てスポーツブラのようなトップスのみというワイルドな格好を普段から好んでいた。それが任務中であっても変わりなく、脇腹や腕に消えない傷なども残しているが、本人は全く気にしてはいないらしい。ちなみに揃いのボトムも、常にサイズが大きいものを履いている。
 そんな彼女の右手に立つ男は中年ほどの見た目で、名前はルーカス・ファウスティノと言った。ベージュの髪をオールバック風にかき上げ、顎のラインに無精髭を生やしている。煙草を嗜んでおり、任務中でも口に咥えていることが多々ある。実年齢が四十歳とヒルデより大分年上だが、それでも彼女の部下としての立ち位置を頑なに守り続けるには、彼なりの理由がきちんと存在しているようだ。
 もう一方、左手に立つ男はヒルデと然程年齢の差を感じさせない青年であった。名をザシャ・アルトナーと言い、コーヒー色の髪とターコイズの瞳を持つ。
 無駄話は一切せず、額のバンダナをいつも眉毛近くまで下げて行動をするので、目つきが悪いと周囲に言われているが本人は全く意に留めていないらしい。
 多くを語らない彼の思考は常にリーダーであるヒルデの事と、夕飯のメニューをどうするかという事であった。
 料理がうまい彼は、軍の内部でもその腕は評判であった。グリーンカレーは定番メニューの一つである。
 年齢はヒルデより五つ上の二十五歳。そろそろ女の影の一つでもあったほうがいいと思えるが、無口で目つきが良くないという印象が強く、そういう縁は無いようだ。
 彼ら二人がヒルデに寄り添うのは義務であり、そして個々の意志でもあった。
 ヒルデガルトという女は、軍人でありながら銃を手にすることが出来ない。戦闘能力は男と並ぶほど高いのだが、銃に触れるだけで拒絶反応が出てしまうのだ。それは過去に起きた精神的なダメージを克服できていないが故であるのだが、根深い問題らしく完璧な治癒が難しいらしい。
 そんな彼女の拒絶と恐怖を無理矢理に拭い去るために開発されたものが、先程口に含んだ薬であった。
 B-001、B-ex00。
 赤と青、それぞれにそんな名称があるが、由来は知らされてはいない。
 ただそれを、二ついっぺんに飲み込まなくてはならない。ヒルデは幾度となく、この行為を繰り返してきた。
 最初に断裂されるものは意識だ。
 その次の記憶はぷっつりと切れ、彼女自身は常に何も憶えてはいない。副作用の一つなのだろうが、神経回路に響く作用があるのだ。
 数秒後に訪れるものは、快楽に似た感情であった。それだけはヒルデも分かっているらしく、好意的に感じてはいる。だが、自身でのコントロールは全く出来ないのだ。
 薬は彼女の中の『狂人』を呼び起こすための、起爆剤のようなものだ。
 言い換えれば、ヒルデガルトは『バーサーカー』へと変容するのである。
 敵味方の区別は辛うじてできているようだが、並の人間では対処できない。前に出れば銃で撃たれるし、止めに入れば容易に殴られる。これまでそんな彼女の犠牲となって医療施設送りになった隊員がどれだけいたことか。
 噂がうわさを呼び、ヒルデは人を遠ざけてしまう傾向にあった。それゆえに、何度もチーム編成を繰り返し末に今に落ち着いたのは、一年半ほど前の話であろうか。
 降格処分を受けた『らしい』と噂されていたルーカスと、他の班での意思疎通が出来ずにその存在自体を持て余されていたザシャは、意外なほどヒルデと良く馴染み現在へと至っている。
 暴走状態のヒルデをサポート出来る上に、止めることも出来る二人は、いつしか別班から【守りの盾】と呼ばれるようになっていた。
「……ルーカス、タイムリミットだ」
「っと、もうそんな時間か。んじゃいつも通り、な」
「…………」
 時間の経過を知らせたザシャは、ルーカスの返事を待ってから、ヒルデとの距離を詰めた。
 ルーカスはと言うと、ヒルデが戦いの間に地面に投げ捨てた自分の武器を拾い上げ、マガジンを付け替えている。その動作には、余裕すら見受けられた。完璧な任務完了が訪れると確信しているからだ。
「ほらよ!」
 彼はそう言いながら、その場で引き金を引く。
 目視では敵はもう三体。ヒルデから一番遠い距離にいる的を狙い、命中させた。
「アァ、アアアァッ……!!!」
 ヒルデは言葉にならない叫び声を上げつつ、腕を振り回していた。手にしているナイフでローグの首を掻っ切り、そのまま地へと沈ませる。直後、傍に寄っていたザシャが軽くジャンプをして、ヒルデの背後に迫っていた最後の一体を仕留め、直ぐさま彼女の方へと顔を向けた。
「……グ、ギギ……ッ」
「ヒルデ、任務完了だ」
 ヒルデはザシャに向かって威嚇の反応を見せていた。動物が見せる牙を剥くような仕草だ。当然、彼の言葉は届いてはいない。これは彼女の体の限界を報せるサインでもあり、薬の効果発動から15分以内に沈静化させないと、元に戻れなくなるらしい。
 だが、このような光景はルーカスやザシャには茶飯事であり、次に起こす行動は決まっている。
 数秒の沈黙の後、ザシャの青い瞳が横に揺れた。それは瞬間的に移動した名残であり、彼は瞬き一つの間にヒルデの背後に回り込み、彼女の首に握り拳を叩きつける。その手に握り込まれていたものは、ペンのような筒状の何かであった。親指を動かしスイッチを押すような仕草が見え、直後にヒルデはかくりと意識を失った。即効性の鎮静剤を打ち込んだのだ。もちろんこれはヒルデガルト専用であり、彼女以外に使えば危険物にあたる為に、その存在自体を知っているのは極わずかであった。
 ヒルデが大人しくなったところで、辺りには沈黙が訪れる。ならず者の影は全て地に沈み、任務完了となった為だ。
「ん~……。にー、しー、ろのや……あー、15体か?」
「18体」
 ルーカスが煙草を咥えつつ、適当な数字を告げる。地に沈んだローグ達の数であったが、ザシャが告げた数が正しいものであり、ルーカスはそれを聞いて肩を竦めていた。
「……しっかし、数、増えてきたな」
「一週間前は10体だった」
「奴らの拠点が近いか、はたまた新しく湧いて出てるのか……そこら辺はもうちょい調査が必要だな」
 『ローグ』と呼ばれる存在は、砂漠と共に現れた異形であった。見た目は人の形によく似ている。だが、男女という枠からは逸脱しており、黒いオーラのようなものが常に全身を覆っているために個体差の区別なども出来ない。
 サイズが大きいか小さいか。それくらいしか解らないのだが、死骸の回収は出来るのでその後は技術開発部に基本任せている。彼らの話を聞く限りは、人間ではなくバイオノイドかサイボーグと言ったもモノの成れの果てではあるらしい。
 それらは過去、ヒルデたちが所属している軍でも製造されていた存在である。主には医療チームのサポート要員として作られたものであった。
「おっと、コイツはサイボーグか? 部品が落ちてるな。一応、拾っとくか」
「――H班、任務終了した。迎えと回収を頼む」
 ルーカスが独り言とも取れる言葉を発しつつ一体一体の確認をしている間に、ザシャはヒルデを抱えたままで無線を弄り、後続班に連絡を取る。ヒルデたちの実働班と、回収や移動などの送迎を担当する班は普段から別れており、任務終了後に合流する形を常としていた。
「…………」
 ザシャはヒルデを自身の膝の上に乗せつつ、その場で腰を下ろした。
 任務の度に彼女は苦しんでいる。もっと巧い戦い方はあるはずなのに、ヒルデはそれを選ぶことが出来ない。そして自分たちは、見守ることしか出来ない。
 それが彼にとってはいつも、やるせなくてもどかしいと感じてしまうようだ。俯いた表情には歪みが見える。

 ――……いつまで、こんな事を繰り返すんだか。

 ヒルデが薬を飲む前に吐く呟きは、ザシャとルーカスにしか聞こえない。二人とも聞こえないふりをしているが、リーダーが僅かに見せる心の弱さをしっかりと受け止めていた。
「…………」
 頬についた砂などの汚れを指で拭ってやりつつ、ザシャはヒルデに何かを告げた。だがそれは、小さい響きで誰にも届かなかった。
 祈りのような、そんな言葉の綴であるような気がした。
「おーい、迎え見えたぜー」
「……了解」
 周囲の確認を終えたルーカスが、いつの間にか双眼鏡を使い遠くを見ていた。
 彼の視線のずっと先から、砂煙が起こっている。送迎車が向かってきている証拠であった。
 ルーカスの言葉を受けつつ、ザシャは静かに返事をする。
 そして彼は、ヒルデをゆっくりと抱き上げて立ち上がり、前を見据えるのだった。