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04.星の嘆きと苦い記憶

 風に乗って、その『声』なる響きが耳に留まる時は、星が悲鳴を上げているそれだと言う人物がそこかしこに存在した。皆、老人ばかりである。自らを占い師や術師などと名乗り、フード付きのローブを身にまといながらまるで魔法使いのような姿で『警鐘』を行う。
「――星のご意思が顕現された! お嘆きである!」
 老人がそう言うと、周囲の人々が弱々しくも声を上げた。
 それらは皆、薄汚れた装いの民間人であった。
 この世界は現在、国という概念を持たない。それ故に、軍が造り与えた四つのエリアに人々が生活してはいるが、そこには格差があり一等区画と貧困区画ではその暮らしぶりは天と地ほどの違いが生じていた。
 エリアはアルファベット順に振り分けられ、下にに行けば行くほど貧困層である為だ。
 当然、その扱いに不平不満の声が上がる。
 反発心からレジスタンスとなる者も少なくはなく、そういった者たちが区画を離れ軍の管轄外エリアへと身を寄せるパターンも最近増えてきた。
 唯一の自然区域である【森】に、彼らが向かっているらしいという話はよく出ていた。
 ただ、軍が手出しできない理由がそこにはあり、明確な調査は未だに行われてはいない。
「星がお嘆きである!!」
 老人が声高々にそう言うのを、ヒルデガルトたち一行が遠くから見ていた。
「……嘆き、ねぇ……。実際の所、怪しいもんだよな」
「ああ言うのがカルトの走りになるんだろうなぁ」
 双眼鏡で老人の顔を確認しつつヒルデがそう言うと、隣に立つルーカスが咥え煙草のままで返事をしてきた。
「だが実際……声は聞こえると思う」
 ぼそり、とそう言ってきたのは左側に立つザシャであった。
 ヒルデもルーカスも、目を丸くして彼の方を見やる。
「なんだお前、なんかそーいうチカラでも持ってんのか?」
「……聞こうと思えば、誰にでも届くという事だ。別に俺が特別と言うわけじゃない」
 ヒルデがそう問えば、ザシャは少しだけ視線を逸してから返してきた。それ以上を語ろうとはしなかったので、ヒルデも問いは続けなかった。
 ――星の嘆き。
 それだけの言葉を浮かべれば、ファンタジーじみた響きだと思えた。
 だが、自分たちが普段対峙している『ローグ』の存在たるも、似たような枠にいるのではないのかとヒルデは思えて、苦笑した。
 止まらぬ砂漠化の中、自分たちは戦って、抗うことしか出来ない。
 終わりしか無いこの世界で、宗教じみたものに縋るのもまた、個としての自由だ。自分が今の立場に無ければ、どこかに縋るものを求めたかもしれない。そう思うと、完全なる否定は出来ないとヒルデは感じた。
「どうする? リーダー」
「……あたし達の役目は、『ならず者』の殲滅だ。民間人はそれには当たらない」
 ルーカスの言葉に、ヒルデは小さく返事をするのみだ。迷いの色がにじみ出たそれに、守りの盾たちは苦笑する。
「んじゃ、現状は異常なしってことで、報告書まとめとく――ザシャが」
「なんで、俺が?」
「俺がまとめると、回りくどい上に分かりにくくなっちまうんだよ」
「……それはつまり、面倒だと」
 男二人がヒルデを挟んでそんな会話を続けている。
 ヒルデは前方を見据えたまま、小さなため息をこぼした。
 そして一行は、後方に待たせてある車に乗り込み、いったん基地へと戻る判断を出して、帰路を辿った。

 ――これは、いつの光景だろうか。
 深夜、だっとは思う。数時間前に優しい母の本を読む声を聞き、額にキスをもらって就寝した。そこで一日が終わり、変わらぬ朝を迎えると信じて疑わなかった。
「――トキ、起きて!」
「んん……にいさま……?」
 気持ちよく眠っているところで、兄に起こされた。いつもは優しくて大人しい兄が、切迫とした表情をありありと出している。それだけで、少女は良くない事が起こっていると幼心に察知した。
 ガシャン、と階下から音がした。皿の割れる音であろうか。それは一度ではなく、数回繰り返された。
「兄さま、……なにが、起こって?」
「黙って。そのまま僕の後についてくるんだ」
「いやぁ、やめてぇ……!!!」
「!」
 子供部屋を抜け出した兄と妹は、突如響いていた叫び声に、体を震わせた。
 ――母の声だった。
 少女はたまらず、前を歩く兄へと手を伸ばす。すると兄は、言葉なく妹の手を握りしめ、ゆるりと首を振った。
『兄妹のガキがいたはずだ。探して殺せ……ああいや、妹のほうは捕まえろ。仕込んで売り飛ばす』
 廊下、階段の先からそんな声が聞こえた。知らない声だ。
「やめ……っ、子供たちには、手を出すな……!!」
 物々しい雰囲気の中、父の声がした。階段のすぐ下にいるようであった。
 だが。
 一発の銃声が響いた。直後、踊り場に花びらのように散ったのは、血であった。
 兄も妹も、その光景を目の当たりにしてしまった。
「……、おいで」
「兄さま……ッ」
 兄は気配を殺しながら、奥へと移動した。数人の気配がこちらに来ると察したからだ。
 少女には何もできなかった。ただ、兄に従い彼の後をついていくしかなかった。
『部屋にいないぞ!』
『ここは二階だ。子供の足だ、飛び出してはいないだろう。――探せ』
 バタバタと足音が響いてきた。奥の部屋以外はどこにも逃げ場はない。
 少女はもうダメだ、と思った。
「――いいかい、お前はここで静かにしてるんだよ。泣いても駄目だ。僕が良いというまで、絶対出てきちゃ駄目だからね」
 そんな兄の声を、聴いた。だがしかし、返事をすることは適わなかった。
 自分の体を、強く押されたためだ。少女をはあっという間に後ろへと倒れ転がり、起き上がる間もなく視界は真っ暗となった。
「……に、兄さま……?」
 そこは、自分の知らない空間であった。さほど広くはないが、隠し部屋とでも言うのだろうか。
 少女は暗がりの中、手探りで出口を探した。だが、なかなか見つけることは出来なかった。
 壁を伝い、何度もその場を回ったように思う。途中で泣きそうになったが、兄が泣いたら駄目だといったので、少女はぐっと堪えていた。
 ――何が、起こったのか。
 温かい家族だった。優しい両親がいて、兄がいた。笑顔の絶えない日々が繰り返され、これからもずっと続くと思っていた。
「にいさま、かあさま、とうさま……っ」
 少女は小さくそう呟いたあと、その場に膝をついた。
 階段に飛び散った血の色を思い出しては、吐きそうになる。誰のものであるかは、幼い彼女にも十分すぎるほど伝わっただろう。
「……兄さま、兄さま、兄さま……!」
 体を折り、小さくなりながら少女は兄を呼んだ。小声だったが、それは何度も繰り返された。
 そして、それからどれくらいの時間が過ぎたか判断もつかなくなった頃、ふいに前方が扉のように開く気配を感じて、少女は顔を上げた。
「…………」
 光が漏れたそれを押し開けるとようやく、外に出られた。
 だが、向こうには誰の気配もなかった。
「兄さま……?」
 少女はまず先に、兄を探した。気配も痕跡も、何もなかった。
 よろめきつつ廊下を出て、階下へ行くために歩を進めると、凄惨な光景が飛び込んできた。
 父の遺体だった。階段の上り口で、仰向けになって瞳を開いたまま、息絶えていた。
 少女は顔を背けながら、そんな父を跨ぐようにして階段を降りきり、リビングへと足を向けた。
 家具が散乱していた。窓ガラスも割られ、破片が床に所狭しと飛び散っている。
「……、……」
 少女の動悸が急激に早くなった。この先を見てはならない――そんな危険信号が脳内で響いている。だがそれでも、視界をコントロール出来るだけの力は、小さな少女には備わってはいなかった。
「……母、さま」
 じゃり、と足元が鳴る。ガラスの破片を踏んでいた感触があった。だがそれでも、少女はそれを気に留める余裕がどこにもなかった。
 リビングから繋がっているダイニングルーム。そのテーブルの上では、母があられもない姿で事切れていた。乱れた髪に白い肌。頬にはいくつもの涙の後が乾きかけている。
「……、……っ、ア、ァ……!」
 少女はその場で酷い眩暈を憶えた。正気を保ってはいられず、次の瞬間には何かを叫ぶ。
「あぁ……うわぁぁぁーーーッ!!!」
 ――兄さま、兄さま、兄さま!!!
 叫びと心の声が一致せず、少女は錯乱の中で苛立ちをも抱く。
 それでも誰も、この状況が夢であり嘘であると、告げてくれるものはいなかった。

「……ヒルデガルト!」
「っ!」
 ビクリ、と肩が震えた。
 ルーカスの声がいつもより大きく耳に届き、ヒルデは数回の瞬きをする。その目には、大量の涙が溢れていた。
「……え、なんだ、これ……」
「帰投中に寝落ちなんざ、珍しいこともあるもんだ。昨日、夜更かしでもしたのか?」
「いや……ん、あたし、寝てたのか」
「…………」
 ガタガタとその場が揺れる。車中であるという事に気が付き、ヒルデはようやく意識を明瞭にさせた。
 ルーカス曰く、寝てしまっていたらしい。眠いという自覚が全くなかったために、動揺したようだ。ちなみに、ルーカスもその隣に座していたザシャも、ヒルデの涙のわけにはあえて触れなかった。
 夢を見ていたような気がした。
 だが、どんな内容であったのかは憶えていない。
「……なぁ、『トキ』って誰だっけ?」
「はぁ?」
 ヒルデのそんな問いに、ルーカスは呆れ顔だ。知らぬことを突然問われても、答えようがない。
「ん~~だよなぁ……」
「ヒルデ、大丈夫か」
 ルーカスの反応を尤もだと受け止めつつ、ヒルデはため息とともにそんな言葉を漏らした。そして今まで黙っていたザシャが彼女の名を呼び、視線を呼び寄せる。
 するとヒルデは、ルーカスの姿の向こうにいるザシャを見てから、「ああ」と返事をした。
「……もうすぐ基地だ。その前に、報告書のデータに目を通してもらいたいんだが」
「ん、ああ。結局、ザシャが処理したんだな」
 ザシャはヒルデに一つのタブレットを差し出した。言葉通りの、報告書をまとめたデータがそこには入力されている。
 ヒルデはそれを素直に受け取り、中身を確認し始めた。
「…………」
「…………」
 ルーカスとザシャは、ヒルデの視界に入らない位置で視線を交わした。言葉は全くないが、二人はそれだけで何かを通じ合い、小さく頷く。
 今はまだ何も、彼女には伝えない。
 ルーカスもザシャは同時にそう心で呟きながら、その場ではいつも通りを貫いていた。