rough wind
02.
第6分隊、野営地。
先日のローグとの戦いの場より少しだけ離れた平地に、現地調査のために設けられた場所である。
7班ほどを集めたこの隊をまとめているのは、この中で一番階級が上であるヒルデガルトだ。
「んじゃぁ、予定通りヒトゴーマルマルにテント前集合。偵察班の最新情報を元にブリーフィングを行う」
手元にある報告書に目をやりながら、そんな言葉を告げる。
この後、各班長を揃えての簡単な報告会が行われるらしい。
今後の分隊の方向性などが決まる見込みである。
「では一旦解散。何かあったら無線で頼む」
「ラジャー」
ヒルデの合図と共に、その場にいた数人がバラけた。各自のテントに戻るようだ。
「……ふぅ」
それらをきちんと見届けてから、ヒルデはようやく移動を開始する。
装甲車の数、テントの数。見張り役の顔など、歩きながら確認することも多い。
「……おい、……」
「あぁ……、……」
物陰から密やかな会話が聞こえてくる。ヒルデの姿を垣間見て、ぼそぼそと交わされる言葉は、確かめずともどんな内容なのかは解っている。
ヒルデの狂化を目の当たりにしたことがあるものなどは、特にそうであった。
皆、敵であるローグの存在より、ヒルデを恐れているのだ。
――解っているのだ。
「……そう、なんだけどなぁ」
ヒルデはそう言いながら、苦笑した。
受け入れ無くてはならない現実が、この現状である。
打破したいと思いつつも、解決策は皆無に近い。
いっその事、自分の記憶そのものをリセットしてしまえば、希望も見いだせるかもしれない。
だがそれは、ヒルデガルトの顔をしたただ別人である。
自分のしてきたこと、見てきたもの、消せない過去全てをひっくるめて『ヒルデガルト』だ。彼女はこれだけは譲る気がない。
「……っし、前向き、前向き!」
自分の両頬を手のひらでパンパンと叩き、ヒルデは思考を入れ替えた。
そこからとある事に気づいた彼女は、辺りをきょろりと見回した。
「ザシャ、居ないのか」
思わず、言葉が漏れる。
いつも左にいるはずの男が居ない。
任務以外では自由にしていいと伝えてはいるが、ポイントを離れる時には自分に一言を告げろというルールがある。
だが、名前を呼んだ男は、たまにこのルールを無視することがあった。
「おい、ザシャ見なかったか」
「アルトナー兵長でしたら、40分ほど前に部下を二人連れてオアシスに向かいましたよ」
「……またかよ」
テントの調整をしていた隊員にそう問えば、予想外――否、ある意味想定内な言葉が帰ってきた。
ヒルデはそれだけで彼の行動を理解し、表情を歪ませた。深いため息を吐き零した後、ボリボリと頭を掻いて踵を返してその場を離れる。
「女のする仕草じゃないだろ……」
一通りの彼女の行動を見ていた隊員が、ボソリとそんな独り言を漏らしたが、もちろんヒルデ本人には届かないほどの音であった。
「ルーカス。……おい、ルーカス!」
「ってぇな。蹴るなって言ってんだろ」
ヒルデは一つのテントに『入るぞ』という一言すら無く入り込み、奥の簡易ベッドで寝転がっている部下を軽く蹴りながら声を荒げた。
「……ったく、束の間の休息時間くらい穏やかな気持ちにさせてくれよ、リーダー」
「ヒトゴーマルマルに集合。後15分だろ」
「その15分が貴重だって言ってんだよ、エフラー曹長。……その様子じゃ、ザシャがまた勝手に居なくなったってあたりか。ストック分の『ココ』が切れたって昨日言ってたじゃねぇか」
気怠げに身を起こしながら、ルーカスはマイペースにそう言葉を告げた。
傍に立つヒルデは、むっつりとした顔のままである。
ココとは、僅かな水分さえあれば砂漠地でも驚異的な生命力で育つ高木が着ける実の名前である。大きな実のそれは飲料水や食材などに広く使用され、軍の中でも貴重な資源の一つとして扱われている。
砂漠地でもとは言うがやはり育つ地域は限られており、オアシスの傍でしか確認されたことはない。
その実を定期的に採取しに行くのが、ザシャの行動の中に入っている。上から課せられたものではなく、個人的に採りに行くのだ。それは、半分以上は趣味から来る行動であるらしい。
そこまでの理由はいいのだが、問題は突然居なくなるという事であった。
ルーカスが言うように事前に何かしらのサインは出すのだが、それを読み取れないと今のような状況に陥るのだ。
「お前もなぁ、もうちょい周りに目をやれよ」
「そんな事よりザシャにルールを守らせろ」
「それもお前の役目だろうが。直近の部下の管理くらい、真面目に取り組めよ」
ルーカスの言葉は少しだけ冷たいような気がした。
そしてヒルデは彼に言い返せずに、益々渋顔になる。
年の差のせいか、上官より娘のような目線でヒルデを見てしまうルーカスは、割といつもこんな口調であった。経験とそれなりの経緯も、もちろんあるのだが。
子供のようにふくれっ面のままでいるヒルデを見やりつつ、ルーカスは苦笑した。
自覚は全く無いようだが、ザシャという存在が彼女の多くを占めていることは容易に分かる。
今はただの信頼できる部下。
それ以上のものを、ルーカス個人としては密かに期待しているのだ。
「若いねぇ」
「……何だよ」
「いんや、何でも。さて、集合前に顔でも洗ってくるかな。ザシャは遅刻は絶対にしねぇから、そろそろ戻ってくるだろ」
ルーカスはベッドを降りて大げさに伸びをしながらそう言った。
そしてヒルデの肩を軽く叩いたあと、彼女を残してテントを出ていった。
その場で佇むヒルデの顔は、何とも形容にし難いモノになっている。
からかわれたような気もするし、何か含みがあったような気もする。だがそれ以上のルーカスの意図が解らずに、割といつもこのパターンを繰り返している。
「……何だかなぁ……」
ぼそり、と独り言が漏れた。
それ以上を思案しても仕方がないので、ヒルデも踵を返してテントを出る。
すると、耳に聞こえたのは四輪バギーのエンジン音だ。複数がこの基地に近づいている。と、思いつつ、ヒルデはその方角へと目をやった。
バギーは三台。砂よけのためにスカーフでのマスクとゴーグルを装着した男が先頭で、後ろに二人が続いている。
「……ちっ」
ヒルデは思わずの舌打ちを隠すこと無くその場でして、地を蹴った。
誰であるのかはバギーの色で判断出来る。軍所有の証であるエンブレムが刻まれている上に、この分隊に支給されたものであるからだ。
「おい、ザシャ!!」
所定の場所にきちんと駐車を終えた男が、歩み寄ってくる。
その男に向かって、ヒルデが右腕を振り上げた。手の先には拳があり、明らかに殴りにかかっていくスタイルであった。
「!」
バシン、と空気を弾くような音がした。
頬を掠めるかと思われたヒルデの拳が、ギリギリのところで彼女より一回りも大きな手で受け止められたのだ。
「……リーチが短いんだから無理するな」
「お前が特別長いんだろ……って、そういうことじゃ無いよ、このモヤシ野郎が!」
ヒルデが目を吊り上げてそんな罵倒を吐く。
リーチ云々に関しては、男女の間では当然の差があり、これは埋めようもない。
だが、今はそれ以上の問題がある。ヒルデはそれを言わんとしているのだが、『リーチの差』という言葉にも多少の引っかかりがあったようだ。
「俺は言った」
「はぁ? 聞いてないよ、いつ言った?」
「昨日の晩飯の時。ヒルデは分かったって返事してた」
「…………?」
ゴーグルを額に上げて、マスク代わりのスカーフを取り外しつつ、ザシャは静かにそう言った。
彼は彼なりに、きちんとヒルデに外出の旨を伝えていたらしい。
それを受け止め、ヒルデは首を傾げつつ昨日の記憶を呼び戻した。
夕食は野菜スープとチキンライスだったか。自分の大嫌いな豆が入っていたためにそれを避けつつ食べていた事まではハッキリと憶えている。
だが。
「うん? ……あれ?」
「俺が刻んだそら豆、避けるのに必死だった」
――明日、オアシスに補給に行く。
「!」
そんな事を、彼は確かに言っていた。
そして自分はそれを隣で聞きつつ、避けた豆をザシャの皿に移していたように思える。
「あー……」
ヒルデはバツが悪そうにして、頭をガシガシと掻く。
確かにあの時、聞いてはいたが内容まで理解していなかった。だから自分は、空返事をしてまた豆がないかどうかの確認に集中してしまっていたような気がする。
「……異論があるなら受け付けるが」
「いや……。でも、出る前に一言言っていくこと。これは前にも言ったと思うけど」
「ああ……うん、了解」
ザシャは基本的に感情の起伏が少ない。いつもこんな風に、静かな口調で話す。
だから例え、ヒルデが怒り狂っていてもこんな調子なのだろう。これは出会った時からこうであったために、生来のものなのだとヒルデは思う。
「ところで」
採取してきたらしいココの実は、後ろの部下に運ばせつつ、ザシャが振り向きざまに口を開く。
ヒルデは箱の中のココを覗き見ている所であったが、彼の小さな声は聞き逃さずに顔を向き直った。
「俺をモヤシとは聞き捨てならない」
「……今更蒸し返すことか、それ」
「これでも鍛えている」
「それは解ってるよ。さっきのは……何ていうか、言葉のアヤってやつだよ」
ヒルデが慌ててそう言えば、ザシャは少しだけ面白くなさそうな表情をした。
基本的に無表情と言われがちな彼ではあるが、こんな時にそれを覆すものがあるということを、ヒルデは知っている。
「――っと、3分前。戻った早々で悪いが、これからブリーフィングだ」
「解ってる」
ヒルデの左腕にある、デジタル式の腕時計が小さな電子音を短く鳴らした。
それを耳にして、彼女は時間を確認してから姿勢を正して、ザシャにそう告げた。
隣を歩くザシャは同じように自身の腕時計で時間を確認しつつ、短い返事をして前へと進む。
傍から見るとデコボココンビにも見える二人の後ろ姿には、目には映らない信頼関係がきちんと構築されているようであった。
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