1. index
  2. novel
  3. 夢月夜

第五夜七話

 時間にしては、数分前のこと。
 浅葱が球体に吸い込まれた直後、残された側となる賽貴と朔羅は、睨み合いが続いていた。
「浅葱に助けられたな」
「……そう言うあんたもね」
 賽貴が嘲笑いながらそう言うと、朔羅も負けじと言葉を返してくる。一度は攻撃を受けてしまったらしい彼は、荒い息を吐いている。白狐の姿から人の形に戻ってはいたが、金の瞳は戻らずのままだ。
「ひと思いに殺せばよかったのに」
「今更、負け惜しみか?」
「……違うよ。あんたならそれが出来たから、言ったんだ。なんで一瞬だけ、躊躇ったの」
「――――」
 朔羅の言葉に、賽貴は沈黙した。表情は変わらないままだったが、動揺しているのかもしれないと朔羅は思った。
 諷貴のような風貌(かお)の彼は、それでいて完全には飲み込まれてはいないのではないか? そう、思えてしまったのだ。
(確信はない……だけど……)
「僕はこれでも自分の実力は解ってる。狂気に触れてるときだって、意識は平常だ。……今がそうであるようにね」
「何が言いたい」
「賽貴さん、完全に中てられてるわけじゃないよね? もしかして、それなりに足掻いてる?」
「――では、試すか」
 朔羅はそう言って、賽貴を煽った。
 すると目の前の彼は、明らかに不機嫌そうに右腕を上げた。鋭い爪が伸びて再び朔羅に向けられようとする。
「……っ、賽貴さんっ!」
「!」
 朔羅は目を逸らさなかった。
斬られてもいい――そんな覚悟が、彼の金の瞳には宿っていた。
それを目の当たりにし、朔羅の声を聴いた賽貴は、やはり一瞬だけ動きが止まる。
「……、……っ」
 それはやはり、葛藤なのだろうと思った。
 賽貴は賽貴でならずの現在でも、その奥深い意識の中で、静かに戦っている。
 朔羅は、それに賭けたのだ。
「聞こえてるんだよね。だから、僕に手を出せない。……本当はさっきだって、僕は確かに死んでたはずなんだ」
「……黙れ」
「意外と、脆いね。やっぱりヒトに関わっちゃたのが効いてるのかな。賽貴さん自身も、そしてあんたも、浅葱さんという存在に触れていなければ、もっと強さを誇示出来ていただろうにね」
 朔羅が多弁となった。
 それに合わせるようにして、賽貴も表情を歪めていく。耳にするのが煩わしいと言った嫌悪感に満ちたそれである。
 いつまでも通用するものではない。
 それでも朔羅は、言葉による揺さぶりを続けた。
「僕たち妖が嘲るヒトは、しぶといよね。言い方を変えると、強かだ。短い生命だからこそ、それを気づかせてくれるものがある。後悔しない生き方、くじけない心と精神……それから、淡くて温かい愛情。『貴方』はそれを、全部知ってるはずだよ」
「お前は……、誰を、見ている。その言葉は、俺に向けているわけじゃない、だろう」
「……へぇ、そう感じるんだ」
(聞こえてる。賽貴さんにはちゃんと、届いてるんだ)
 朔羅の金の瞳が、そこでようやく元の水色に戻った。
 そして彼は、攻撃の姿勢を解いて、普通に立つ。
「――賽貴さん」
「やめろ。お前は誰に向かって口を聞いている。俺は天上たる存在だぞ!」
「向いてないんだから、やめたら? それに貴方は、その座に就くのを嫌がっていたでしょ?」
「……ッ」
 賽貴は朔羅の言葉に、完全に『歪んだ』。
 何がそうさせたのかは、明確なところは分からない。だがしかし、朔羅の言葉がやはり真意を得ていたのか、『絶対』であるはずの負たる瘴気が、危ういものへと変容していっているのだ。
(忌々しい……何だというのだ!)

 ――それが、俺だ。

「!」
 賽貴が心で毒づくと、それに応えたものがいた。同じ声であるが、全くの別なるもの――取り込んでしまったと思い込んでいた本来の賽貴の声だ。

 ――朔羅の言うとおりだ。俺もお前も、浅葱さまに関わったもの全て、何かしらを感じている。
だからこそ、お前も朔羅に手出しを出来なかった。

「喧しい……ッ」
「……え……」
 思わずの声に、朔羅も瞠目した。
 明らかに自分に向けられたものではなかったからだ。
「何が俺だ……何故そのような浅薄な考えに至れるのだ……っ!」

 ――そう感じるのなら、お前は天を統べるものには成れないだろう。過去、いつかに拒絶をされたように、その思考を改めない限りは、永劫に。

「……ッ!」
 『賽貴』はそこで、大きく目を見開いて、歯軋りをした。まさに、内側から苦しみを感じている様であった。
「ぐ、あぁ……っ、まだだ! 『俺』はまだ……やっと、この座を手にしたと言うのに……!」
(賽貴さんと『気』が離れてきてる……? 反発が起きてるんだ)
 それが誰であるのかは、朔羅には解らなかった。おそらく、この場にいるものにも、明確な名は解らないだろうと思う。
 それは、個ではないからだ。
 過去、どれだけの血筋がそうさせたのかは分からない。王を望むものは当然のごとく、溢れるほどに存在した。力のみを誇示する者もいただろう。天猫の血すら拭ってしまおうと思った他族も多くあった。
数多の個体の、負の感情の混ざり合い。それが一つとなって、怨恨を表しているようなものだ。
「賽、……ッ」
 朔羅が賽貴へと再び呼びかけをしようとしたところで、状況が変わった。
 浅葱たちを飲み込んだ状態の球体が、その場で大きく膨張して見せた後、四散したのだ。
「!」
「……、っ、兄上、か……っ」
 球体は四散の直後に藍と浅葱を、この場へと戻してきた。まるで、球体自体がそうしたかのような光景であった。
「……浅葱さん!」
「…………」
 朔羅は何より、主の元へ早々と駆けていた。そして彼女の体が地面につくより先に手を伸ばして、腕で受け止める。藍は浅葱が抱きしめる形を取っていたので、結局は、朔羅は二人分を受け止める事となった。
 そして朔羅は、やはり賽貴も気づいてはいたが、球体が『諷貴』であると何故か確信していた。
 元は確かに違うものだったが、先に取り込まれているのもあり、その先で彼が何らかの足掻きを見せたのだろうと思ったのだ。
「……やめろっ」
 そう言ったのは、賽貴だった。
 或いは、賽貴の姿をした何者かの声だったのかもしれない。とにかくその声から焦りの色を感じて、朔羅はゆっくりと顔を上げた。
『――俺を殺せなくて残念だったな、賽貴。俺もお前たちや浅葱に手出し出来なかったんだから、お互い様、で、妥協してくれ』
「あに、うえ……、何、を……」
『こんな事になったのは、全部俺のせいだ。だから、詫びだと思えばいい』
「待っ……!」
 諷貴と賽貴は、そこで初めて、兄弟らしい会話をした。少なくとも、賽貴はそう思った。僅かな時間であったが、それでも。
 そして目の前の球体は、賽貴の体から瘴気を『奪った』のだ。
「――兄上っ!」
 賽貴の呼びかけに、諷貴は応えなかった。元より、彼の姿は見えなかったのだ。そして球体は賽貴から全ての瘴気を吸い取った後、小さな玉になったのだ。



「諷貴さま……どうしてコレしか、選べなかったの……」
 手のひらに収まるほど小さな玉となってしまったそれを柔らかく握りしめて、涙をこぼすのは藍だった。
 意識を失っていたとは言え、諷貴の内面に触れていた彼女には、彼の選択の意味を誰より深く理解していた。
 だからこそ、何とかしたかった。してほしかった。
 どうにも出来ないと解っていたからこそ、望んでいたことでもあった。
「……藍、ごめんね」
「なんで浅葱が謝るの。……誰も、悪くない……そうは思いたくないの……」
「うん、そうだね……」
 藍のそばに寄った浅葱がそう声を掛けると、彼女は最も正しい言葉をぶつけてきた。その率直な言葉を受け止めつつ、賽貴に目を向ける。
 藍はその気配を察して、球体を握ったままでその場を離れ、朔羅の方へと歩いていった。
「……賽貴?」
「浅葱さま……」
 賽貴は項垂れたままであった。
 それでも浅葱の声には反応して、ゆらり、と顔を上げる。
「良かった。ちゃんと、『賽貴』だね……」
「……っ、……」
 自分の傍で精一杯の虚勢を張り、笑顔を見せる主に、賽貴は言葉を詰まらせた。
 自分のしてきたことを、忘れたわけではない。記憶としてきちんと残っているこの現状が、今はとても辛かった。
 自分ではなかったとは言え、酷いことをこの口が告げた。それにはほんの少しだけ、自分の感情も混ざっていた。そう、自覚がある為に、謝罪の言葉を並べることすら躊躇ってしまう。
「……何も言わなくて、いいよ。それより……私を、抱きしめてくれない、かな……?」
 浅葱の言葉が途切れ途切れとなる。それを耳にした賽貴は、そろりと己の右腕を上げた。
 それでもまだ、躊躇いがある。
 だが、主は『今』を求めているのだ。
「浅葱、さま……」
 ゆっくりと、浅葱を抱き寄せる。
 完全に腕の中に収めてから一息つくと、浅葱が泣きだした事に気が付き、頭に手をやった。
「……ご迷惑を、おかけしました。たくさん、嫌な思いをされたでしょう」
「私は、大丈夫、だよ……賽貴が、こうしていてくれるだけで、平気だから……」
 浅葱がそう言う時は、強がりを見せている時だ。
 それを誰よりも知っている賽貴は、彼女を深く抱き込み直す。
「申し訳ございません。必ずお守りしますと言った自分が、それを出来なかった……」
「……この状況だったんだもの、仕方ないよ。それに私も……もっと何か、出来たはずなのに」
 後悔など、幾層にもなったか分からない。浅葱も賽貴も、同様にそれを感じている。
 どの選択が正しかったのか。藍を救出するためにこちら側に来たが、それすら間違いだったのか。失っていい存在など、誰もいなかったと言うのに。
「……それでも、こんな世界でヒトであり僕たちの主であるあなたを失うことだけは避けられた。だから僕は、間違ってないと思うよ。自分の選択以外はね」
 うまい言葉を見つけられないままの賽貴と浅葱に向かって、朔羅はそんな言葉を投げかけてきた。
 自分の選択、と後付したのは白狐の姿になったときのことを言っているのだろう。死すら厭わずの行動は、やはり褒められる行為では無いからだ。
 賽貴も浅葱も、彼の言葉を否定せずに受け止めて、頷いた。
「――あのね、皆に聞いてもらいたいことがあるんだ」
 そして浅葱が、話題を切り替える。賽貴の腕の中から少しだけ離れ、半歩ほどを前に出てから告げられた言葉だった。
「まだ、自分でも確かめられてないんだけど、多分……。私は、ヒトではなくなってしまったみたい」
「!」
 朔羅と賽貴が、ほぼ同時に目を丸くした。朔羅の隣に立つ藍も、遅れずに驚きの表情を浮かべる。
「皆、怒らないでね。多分これは、私自身が本能で選んだことなんだと思う。……私は、諷貴さんに魂の一部を渡しました」
「――生かしましたね、兄を」
「うん。だって彼には、式神(しき)の印があったんだもの」
 浅葱の言葉に絶句したのは、朔羅だった。
 割と何でも知っている彼でも、諷貴の真実までには気づけなかったのか。
「……やはり、瀞さまは兄を式神にしていたのですね」
「もしかすると、先々代はこうなることすら見越していたのかもしれない。でも、諷貴さんが自らあの形を取ってしまった以上、再び会えるかどうかの保証は、出来ないんだよね」
「……それでも、希望が無くなったわけじゃない」
 そう言い出したのは、朔羅だ。
 浅葱も賽貴も、そして藍も、その響きに素直に驚いて見せる。
「なに、皆して。そりゃ、僕は諷貴さんや賽貴さんに纏わりついてた瘴気みたいな輩は大嫌いだよ。未だに許せない。……だけど、それでも……諷貴さんは瀞さんが愛した人だからね」
 一斉に向けられた視線に肩を竦めつつ、朔羅はそう言った。偽りも、躊躇いも一切ない彼の本音だった。
「そうだね。朔羅の言うとおりだと思う。今すぐにとは出来なくとも、いつかきっと、私は諷貴さんを『こちら』に戻してあげたい」
「……うん、うん! 浅葱!」
 力強く相槌を打ったのは、藍であった。やはりこの場で一番に感情を動かされているのは、彼女なのかもしれない。
 そんな彼女の様子を見つつ、浅葱は微笑んでから小さなため息を吐いた。
 すると、その背を静かに支えたのは、傍に居た賽貴だった。
「……賽貴」
「個人的な引っ掛かりはいくつかあるんですが、今は何もお伺いはしません。……とりあえず難は去りましたので、この屋敷もいずれは元に戻るでしょう」
「――それには、お前にも少々手伝ってもらわんとな」
「え……」
 最期の言葉に続くようにして、知らない声が聞こえた。
 直後、空気が一気に晴れて、室の風景も一変する。
「……っ、父上!?」
「!」
「っ!」
 何もかもが綺麗になっていく光景の中、賽貴が放った響きに、その場に居た誰もが瞠目した。
 錆色なっていた御簾が見る間に修復していき、その向こうに人影が見える。大きな体躯の男性だ。
「……あなた、は……」
「そなたが噂の陰陽師・浅葱どのか。お初にお目にかかる。このような姿で申し訳ないが、俺は一応、ここを統べる者――そこの賽貴の父でもある」
「お、王帝……」
 浅葱達の前に突如姿を見せたその人影。
 それは彼自らが語ったとおり、妖の世を統べる者――『王帝』本人であった。

ページトップ