Indizio e un libro.

「ルカ先輩、これ、受け取ってください」
「……うん?」
「家庭科の授業で作ったカップケーキなんです……っ」
 渡り廊下を一人歩いていたルカは、見知らぬ下級生に呼び止められ、足を止めた。
 すると頬をうっすらと染めた下級生が、俯きがちになりながらルカへと綺麗にラッピングされた袋を差し出してきた。
「ああ、そうなんだ……甘い香がするなと思っていたのだけど……君たちの授業だったんだね。有難う、頂くよ」
 下級生の淡い想いに、ルカはいつも優しげに答えてやる。
 それが彼女の中での、礼儀だと心しているからだ。
「……えっと、そのぅ……リリ先輩と、一緒に食べてくださったら、嬉しいです」
「わざわざ有難う。気を遣わせてすまないね」
「…………!」
 健気な下級生の頬に、ルカはそっと口唇を寄せた。遠巻きから、他の少女たちの感嘆の声が漏れる。
 これも、ルカなりの礼儀の一つらしい。
 真っ赤に頬を染めた下級生は、深々とルカに頭を下げた後、足早にその場を去っていく。
「……かわいいものだね」
 小さく微笑みながら受け取った包みを落とさないように持ち直す。
 ルカにとっては、このような日常は茶飯事なのだろう。
「妬かれる、かな?」
 包みに視線を落としつつ、くすりと浅い笑いを一つ。
 それはルカの大切な存在の態度を想像して生まれた笑みだった。



 昼下がりのカフェテラス。
 日当たりの良いこのテラスは、いつも少女たちが談笑する場としてにぎわっていた。
「リリ」
「ルカちゃん」
 一つのテーブルに、パラソルが生み出す影の中に隠れるようにして座っていたのはリリだった。
 手には本が納まっている。
「待ったかい?」
「ううん、わたしもさっきここに着たばかりよ」
 リリの向かいの席に座る事が許されているのは、ルカのみ。
 それは周知の事であるので、誰もその『禁忌』を犯すものなどいない。皆、ただ二人を遠巻きに、微笑ましく見守るのみだ。
「そこの渡り廊下で、カップケーキを貰ったよ。授業で作ったものらしい。一緒に食べよう」
「カップケーキだったのね。授業があるのは知ってたけど……ルカちゃん、飲み物は頼んできた?」
「……おや」
 リリの反応を楽しみにしていたルカは、頬杖をつきながら小さく笑う。
「なぁに?」
「いや……いつもなら妬いてくれるのに、と思ってね」
「リリは、いつまでも子供じゃありませーん」
 ルカの言葉に、リリがつん、と顔を背けながらそう返してくる。
 その態度がまたおかしくて、ルカはくすくすと笑った。
「ルカちゃんっ」
「ああ……悪い。あまりにリリが可愛いから」
「もう、ルカちゃんってば……」
 小さく頬を膨らませ、ルカを軽く睨むリリ。
 そんな姿さえ、愛らしいと思えてしまう。
 目を細め、目の前の愛しい存在を見つめていたルカは、リリの手にしている本へと目をやった。
「リリ、その本は?」
「図書館で見つけたのよ。分野の違うところに置かれていたから、戻してあげようと思って手に取ったんだけど……少し興味があって、そのまま借りてきたの」
 ルカに問われるまま、リリは手の中にあった本を彼女へと差し出した。
 見るからに古い本である。だが、珍しいものでもない。
 この女学院の敷地内に立てられている図書館自体が古いものであり、扱う本もその殆どが古書ばかりだからだ。
「ふぅん……どんな話?」
「古い物語よ。国と国とが争いを続けていた時代。とても綺麗な描写なんだけど、最後が悲しいの」
「………………」
 リリの手から本を受け取ったルカは、その本のページをペラペラと捲りながらリリの説明を聞いていた。
 だが、文中の何かを発見したのか、動きが止まる。

『――乙女は幾時も重ね、紅薔薇の騎士を探し続ける。』

「……なるほど、かつて吟遊詩人と言われていた人物が書き残したものを、再現させたのか」
 目にした一文を指でなぞりつつ、ルカは悲しげに微笑んだ。
 そんな彼女に、リリは声をかけられずにいる。
 時折見せる、ルカの悲しい微笑み。
 リリはその微笑みを見るたびに、心の奥が軋むような気がしていた。ルカを遠くに感じてしまい、不安にもなる。
だがそれらは、簡単な言葉ではとても表現しにくいものだった。
「リリ?」
「……あ、ごめんなさい。ちょっと、ぼんやりしちゃって……」
 返事の言葉を発さないリリの頬に、ルカの右手が、優しく触れる。
 リリは内心驚きつつも、心配を掛けないために小さく笑った。
「そう? 隠しごとは無しだよ?」
「うん」
 ゆらり、と僅かに揺れたのはルカのジェイブルーの瞳だ。
 リリが何かを感じとりつつも、なんでもない素振りを見せているのはお見通しだった。
 だが、彼女は深い追求はしない。
 理由を、知っているから。
「さぁ、リリ。そろそろ午後の授業が始まる。行こう」
「うん」
 ルカが立ち上がりながら、そう言う。
 するとリリも後れを取らず、立ち上がる。
 そしてルカから返された本を抱き込みながら、彼女の隣へと並んだ。
(……君が、この本を見つけてくるとはね。これも、偶然ではなく必然というものなのか)
 自分より頭一つ分、背の小さな少女。
 ルカは傍らに寄り添って歩いてくれるリリを見ながら、そんなことを内心で呟く。
(幾時――。そう、もう……どれほどの時間が流れてしまったのか、見当もつかない。それでも……)
 さらさらと、ルカの髪が風に揺れた。
 やっと見つけた、彼女だけの小さな灯火。
後は……その灯りが、花のように燃える日を、待ち続けるだけ。
(今までも待ったんだ。これからだって、いつまでも待てる)
 そんな彼女の呟きは、ゆっくりと静かに、心の中で反復される。


 今はただ――目の前の幸せを守り、そして導くだけ。
 乙女と紅薔薇の騎士。
 まだ、時は訪れない。

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